倉永美沙の経歴は?不可能を可能にした日本人バレリーナとは。

雑記
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※アジア人で初めて、アメリカの名門バレエ団ボストン・バレエ団のプリンシパル(最高位)ダンサーを務める倉永美沙さんについて紹介。

本日はなぜ大抜擢されたのか。彼女の経歴を追いつつ紹介していこうと思います。

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倉永美沙の経歴は?まずは基本情報とプロフィールについて紹介

倉永美沙基本情報

生年月日:1982年(37歳 2019年現在)

出身:大阪

身長:156cm

職業:バレリーナ


若い選手も多い中アジア人でしかも遅咲きのベテランとして、世界最高峰の舞台で活躍をしている倉永さん。

日本では小さいころから天才と称され、全国大会でも優勝するなど輝かしい功績を残しています。

ですが、海外に行くと何度も壁にぶつかり、挫折してはチャレンジを繰り替えしてきました。

バレーリーナとしての経歴はこちらです。

バレリーナ経歴

1987年 地主薫エコール・ド・バレエに入学

1990年 第3回中部日本全国バレエコンクール第1位受賞

1997年 第54回東京新聞主催全国舞踏コンクール第1位

2001年 第29回ローザンヌ国際バレエコンクールでプロ研修賞を受賞

2002年 スクールオブアメリカンバレエで研修。

2003年 ボストンバレエ団へ入団。

2006年 ジャクソン国際バレエコンクールゴールドメダル受賞

2009年 ボストンバレエ団にてプリンシパル(最高位)ダンサーへ任命される


経歴を追えばかなり華やかしいものですが、海外に行ってからは挫折や苦労も多く味わっています。

ここからは、アジア人であるという先天的な要因により苦しみながらも、挑戦けボストンバレエ団にて最高位のダンサーへ任命されるまでを深堀します。

体格でハンデを持っているアジア人が、いかにして世界最高峰の舞台まで上り詰めたのでしょうか。

それではいってみよ。


体格というハンデを背負い世界で戦うということ。


倉永さんはトップクラスのバレリーナの中ではかなり小柄な方です。

現在身長は165センチあたりがベターで、近年ではさらに高身長化しているようです。


身長が高いことでのメリットは、スタイルの良さが際立つこと。

バレエの美しさを表現をする上でスタイルの良さはかなりのアドバンテージです。

そうした選手の中で、小柄な日本人が活躍することは想像するだけで困難なことだと思います。

特に世界のバレエは、170cm超すスタイル抜群の欧米女性などと並び比較される舞台。

小柄な日本人がオーディションに受かるには技術だけでなく劣等感に打ち勝つメンタルも必要です。

周囲と比較される劣等感の中で自分を保ち、どう自分自身のスキルと情熱をもって表現するかが通常以上に試されるか。

倉永さんは自分の技術と練習を信じ、世界最高峰の舞台へ突き進んでいきました。

小さいころから無類のレッスン好き。ついたあだ名はトレーニングマシーン


倉永さんの最大の強みバレーに対する探究心は、小さいころから頭角を現していました。

誰よりも無類のレッスン好きで、レッスンの後は自主練を誰よりもたくさん行う子供だったようです。

その練習量は周囲も驚くほどすさまじく、『トレーニングマシーン』というあだ名がつくほどだったとか。

努力が 1993年には第3回中部日本全国バレエコンクールでは1位に、1997年の第54回東京新聞主催全国舞踏コンクールでも第1位に輝いています。

幼少期からすでに、運命を自分で切り開いていく。そんな下地が備わりっていたのではないでしょうか。

順風満帆なバレエ人生かと思いましたが、舞台が世界に移ることで努力の天才は挫折を経験することになります。

世界の舞台へ挑戦し味わったはじめての挫折。


日本では全国大会優勝の常連となり、舞台はいよいよ世界に移っていきます。

17歳の時にバレリーナへの登竜門と言われているローザンヌ国際バレエコンクールでプロ研修賞を獲得。

世界への道が一気に現実のものとなりました。しかし、待っていたのは惨めでつらい現実です。

サンフランシスコ・バレエ団に入団し研修を受けることはできたものの、ほぼ役を与えてもらえないという惨めであり屈辱的な経験をしました。

そうした初の世界の舞台は悔しい結果となります。この挫折を期に日本へ戻り劇団でプロとしての人生を歩みだすものだと周囲は思いました。

しかし、トレーニングマシンと呼ばれるほどバレエに魂を注いでいた彼女の内面の強さが『あきらめる』ということをゆるしません。

選択したのは日本に戻り安全な道を進むのではなく、アメリカにとどまり挑戦を続ける事でした。

覚悟をもって挑戦を続ける倉永さんでしたが、世界の名門バレエ団で活躍するのやはり難しいものでした。

ダンサーの体型や先天的なポテンシャルに対する評価が厳しく、シーズンの終わりには解雇されるという現実を突きつけられることになります。

当時、『スタイルを変えないと、この国のバレリーナとして生きていけない。』という厳しい言葉をかけられたようです。

世界的なバレエのコンクールでは入賞することができ、技術的には評価を得てはいる。

なのにも関わらず、コンクールでない舞台では厳しい現実。

先天的な要因がここまで大きいのかと当時は感じたはずです。

ですが、度重なる挫折にも倉永さんは負けませんでした。

7歳から思い描いたバレリーナになるという夢を捨てず、アメリカで努力と挑戦を続けます。

何度も挫折を味わうが磨き続けた技が身を結ぶ。


世界の舞台で何度も挫折を味わう倉永さんでしたが、彼女はあきらめませんでした。

大好きなバレーで夢をかなえるため、必死に技を磨きました。

先天的な体格や容姿に負けないほど、キレと正確さを持つ彼女のバレーが完成します。

そうした努力がついに身を無びはじめます。

2003年にボストンバレエ団へコールドバレエとして入団すると、2005年にはセカンドソリストへ昇進。

翌年2006年にはジャクソン国際バレエコンクールゴールドメダルを受賞。これは女性シニア日本人初の快挙でした。

さらに翌年2007年にはソリストへ昇格し、2年後の2009年にはプリンシパルダンサーという最高位まで昇進をします。

圧倒的な挫折を味わった17歳から、あっという間に快進撃を続けていきます。

体格で勝てなかった世界の壁を努力とスキルであっという間に駆け上がってみせました。

よしろー
よしろー

『あとがき』

本日は、倉永美沙の経歴は?不可能を可能にした日本人バレリーナについて紹介をしてきました。

体格のことを言い訳にせず、自分の魅力を愚直に磨き続ける彼女の姿に誰もがこころひかれることだと思います。

変えることのできない壁にぶち当たったとき、壁に対してどう向き合うのか。

私自身も参考となるお話しだったと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


ということで本日はここまで、

このブログでは新社会人や大学生に向けて
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最後までありがとうございました。

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